巻頭言・・・教会誌「こころ」より
明日への旅

教会誌「こころ」2012年2月号より
 主任司祭 パウロ 藤井泰定 神父 
  12月27日昼過ぎ、新幹線で仙台に着き、駅前広場でU師に迎えられ、一路北上。D師は、3月11日の東日本大震災により、任地が被災しました。地震と津波の被害を免れた幼稚園の遊戯室を避難所として開放し、家を流された園児の家族たちを受け入れました。信徒館と司祭館をボランティア活動拠点として、一緒に救援活動に関わっていました。彼の津波に被災した身内の約半数が死者、行方不明者となっていました。彼自身も5月に軽い脳障害になり、入院して検査・治療を受け、6月から、仙台教区司祭の家で半年あまり休養をしました。−司教命令による強制休養でした−  11月末、T教会に赴任したことを知り、クリスマスが終わったら訪問することをU師と打ち合わせ、T教会についた時、小雪がちらついていました。D師は待降節、降誕祭を無事過ごして少し疲れているようでした。長居は無用と、「原町まで被災地を見ながら走りたい」と雪に降ふられながら出発しました。 東北自動車道を富谷JCで仙台北部道路に入り、利府JCから三陸自動車道になり、多賀城市の被災地あたりまで一眠り、目が覚めると被災地がきれいに片付けられているのが目に入り、「随分きれいに片付けられているねえ!」と声を上げると、「畑地の瓦礫は農家の人たちが少しづつ片付けたけど、塩害で農作業はできないし、ご覧の通り全半壊の家屋処理は遅々として進まずなんだ。」と現状を説明してくれました。仙台東部自動車道の仙台港北ICを過ぎる辺りでは、「復興の道遠し」の仙台港を見ました。 6月訪問の時、D師の要望で、U師が運転して、仙台港から北上し、塩釜市、松島町、東松島市を抜けて石巻教会を訪問しました。日和山から石巻市の広大な被災地を目にして圧倒され、女川町の港の高台にある町立病院前から津波と地盤沈下で浸水し、海岸近くの3階建ての冷凍・冷蔵庫ビルが横倒しになっているのを眼下にし、避難所になっている綜合体育館を訪れました。避難所にも入れず、電気もないゲートボール場に張られた30張り近いテントで暮らす避難者に会い、総合グランドの壁に張り出された発見された遺体の一覧表を見入るD師のそばで声もなく立ち尽くし、地盤沈下による万石浦沿いの灌水した道路を避けながら仙台まで帰りました。 仙台東部道路は北の仙台港から南の名取川まで、宮城野区、若林区は海岸から3km.あたりの内陸部まで浸水して、家屋の土台の瓦礫を仮設住宅から通いながら住民たちが片付け、畑地は農家の人たちの手できれいに片付けられて積み上げられた瓦礫は更に金属、木材、その他に分類作業が進められていました。名取市と岩沼市の境界線あたりに広がる仙台空港周辺は、かろうじて諸機能が働いている痛々しさを感じました。阿武隈川を南に越えると常磐自動車道になり、亘理町から山元町に入り、6号線(陸前浜街道)に降りたあたりから丘陵地帯が海岸線に3~1kmと近づいたり、離れたりして津波浸水地帯が広くなり、狭くなって、低くなり海側の被災地が近くに見えました。宮城県と福島県境に近い常磐線坂元駅は6号線から1.5km.位離れていて、海岸から0.5kmの地点にあります。海水浴場に近い坂元駅の立派だったと思われる鉄筋作りのトイレが傾いたままで、駅舎は入口のタイルだけがかすかに残していました。やっとの思いでプラットホームに登って海岸側を見ると線路は流されていました。プラットホームと駅舎の間の線路は、駅舎の土台と一緒にプラットホームを越えた津波で抉り取られて水溜りになっていました。津波は寄せる高波で覆いかぶさる家も畑もを飲み込んで脅威ですが、引波がもっともっと強烈で怖いことを実感しました。日没をプラットホームで眺めて、帰ろうと内陸側を見たら真っ暗。明るい間、いくつかの家屋が見えていたのに誰も住んでいないことに気付かされました。6号線に出て、福島県相馬郡新地町から相馬市を走り、南相馬市内で陸前前浜街道に分岐して福島原発から24km.しか離れていない原町教会についたのは午後7時頃。翌28日午前、福島原発から6号線の20km地点、つまり「交通止め地点」では警察官が一般車両の交通禁止をしている地点まで南下し、海岸に近い38号線を北上し、平成25年にならなけれが再稼動できない相馬共同火力発電所を遠望する原釜尾浜では無残に破壊された海浜公園の土手で、津波の塩害で枯れた潅木から新たな緑が芽吹いているのを見て励まされました。亘理町では、放射線のため休漁に追い込まれたほっき貝を北海道から仕入れて調理した亘理名物「ほっきどんぶり」を頂きました。 6月と12月の訪問で、4日間に案内してもらった被災地は宮城県女川町から福島県南相馬市原町まででした。地震、津波、原発の全被災地の3分の一にも満たない地域です。東日本大震災で失った人の命と有形無形の全財産は? 被災者一人ひとりの思いと願いをもっと丁寧にスピードをもって集約して明日に向けて形ある合意は? 地震だけでなく津波、原発事故を克服して東日本の広大な地区に住む被災した人々が復興を感じる日は何時なの?